禅の友2021年3月号(曹洞宗)、三橋TV、れいわラジオ、断らない女、教え、祈りの掲示板、浄土真宗

2021年02月26日

禅の友2021年3月号(曹洞宗)、三橋TV、れいわラジオ、断らない女、教え、祈りの掲示板、浄土真宗

禅の友2021年3月号(曹洞宗)

 今回は、巻四の第四話の続きとなります。前

回、道元さまは、修行者は財産を持たないほう

が良いとの見解を示されました。出家者にとっ

ては、そもそも畜財は戒律違反となりますし、

財産を巡るトラブルが起これば怒りを覚えてし

まい、それもまた戒律違反となり、いわば二重

の恥になるとのお言葉でした。

【巻四ー四(3)】

 仏法凌遅し行くこと、眼前に近し。予、始、

入建立寺時見しと、後七八年に次第にかは

りゆくことは、寺の寮々に、各々塗籠をし、持

器物、好美服、貯財物、好放逸脱之言

語」(器物を持ち、美服を好み、財産を蓄え、

放逸の言語を好み)、問訊礼拝等凌遅する事を

以て思ふに、余所も被推察也。

出家者は財産を蓄えてはいけないという戒律

は、不畜金銀宝戒と言って、出家してから一人

前の僧侶として認められるまでの、見習い僧が

守るべき条項となっています。ただ曹洞宗で用

いられる戒律は、在家も出家も共通なものなの

で、出家者専用のこの不畜金銀宝戒は含まれて

いません。

 しかしながら曹洞宗の修行道場で修行する出

家者には、その修行道場の規則として、出家者

専用の戒律の幾つかが適応されてきた歴史があ

ります。 不蓄金銀宝戒と同様のものには、飲酒

を禁止する不飲酒戒、性行為の全てを禁止する

不非時食戒などがあります。

 これらは在家出家共通の曹洞宗の戒律では、

他人に酒を勧めることを禁止する不?酒戒、性

欲に振り回される行為を禁止する不貪淫戒(不

邪淫戒とも)と在家を許容する内容となってい

ますし、修行道場における夕食は「薬石」と称

して、正式な食事として扱われていません。

 従って曹洞宗の戒律として規定されていなく

ても、インド由来の出家者用の戒律の幾つか

は、修行道場においては常識的に適応され、曹

洞宗の修行生活が成立しているわけです。

 さて、道元さまは「仏法が衰えて来ているの

は明白な事実です」と言われます。「陵遅」と

は物事が衰えて行くという意味です。道元さま

が初めて建仁寺に入って見た時からすると、そ

の後七、八年から徐々に変わってきてしまった

ということです。

 「建仁寺」は言うまでもなく、栄西さまが開

かれた臨済宗の寺院です。道元さまが初めて建

仁寺に行かれたのは一二一四年、十五歳の時と

いう説があります。そこを起点にして八年後は

一二二二年ですが、その翌一二二二年には中国

に留学されています。とすれば、道元さまが中

国に留学する前の建仁寺の様子と考えることが

出来ます。そうしますと栄西さまが一二一五年

に亡くなられ、七、八年後にその禅風が衰えて

きたということになります。

 しかし一方で、建仁寺を本格的な拠点とする

のは、栄西さまより仏法を伝授された明全さ

まに師事していた期間が八年程度ということに

なります。だとすれば、留学している間に建仁

寺の禅風が衰えてしまったということになるか

と思われます。

 いずれにしても道元さまは、建仁寺のあちこ

ちの部屋にはそれぞれちょっとした物置のよう

なものが設けられていたり、個々に色んな器物

を所有していたり、綺麗な服でお洒落を嗜んで

いたり、財産を蓄えていたり、思慮のない言葉

を好んで使ったり、問訊(挨拶として合掌して

頭を下げること)や礼拝(頭を地面(床)につ

けて敬意を表すこと)など仏行も荒れてきて

いる、と嘆かれています。

 「寮」は、現代では、いわゆる部署ごとの部

屋という感覚ですが、この当時、もしかしたら

個室のようなもので、ある程度の財産がなければ

必要のないものと思われます。

 建仁寺の修行者たちには、そこに保管すべき

個人所有の物品や衣服があったということにな

ります。

 陵厳な栄西さんゆかりの建仁寺にしてこの状

態なのですから「他の寺院も同様の状態か、も

しくはそれ以上に酷いことが容易に察せられ

る」と、道元さまが溜息をついている様子が目

に浮かぶようです。

 【巻四―四(4)】

 仏法者は、衣鉢の外は、財をもつべからず。

何を置かん為に塗籠をしつらうべきぞ。人にか

くす程の物を不可持、不被殺なんどと思ふ

時こそ、身もくるしく、用心もせらるれ。人は

我を殺すとも、我は不加報と、思定めつれ

ば、先づ用心もせられず、盗賊も愁へられざる

なり。時として無不安楽。

 禅の修行僧に許される所有物は、衣(袈裟)

と鉢(食器)の二つだけになります。実際には

他の衣類や杖なども所有しますが、まずは衣鉢

のみ、というのが眼目となります。従って道元

さまは「何を置くために物置が必要だというの

か? 人に隠さなければいけないようなものは

持たないほうが良い。そんなものを持たなけれ

ば、むしろ安心できるじゃないか」と厳しく言

われています。

 もちろん檀家さんの期待を背負う一寺院の住

職ともなれば、寺院の維持を考えなくてはいけ

ないのが現実ですが、少なくとも修行僧として

仏道を追求しようという時には、不必要な財産

は身心を乱す原因になりかねないのですね。

 それで道元さまは「人を殺すことがあっても

自分は人に殺されないようにしよう」と思うか

らこそ、安心して体を休められないし、用心も

必要になってしまうのだと言われ、「自分は誰

かに殺されたとしても報復などしないように

しよう」と決めてかかれば、用心する必要もな

いし、盗賊を不安に思うこともないのである、

そう考えれば、安楽でない時などないのだ、と

言われます。

 さすがに殺す云々は少々物騒な喩えとは思い

ますが、最初からなければ失う不安に苛まれる

ことがなくなるのは確かでありましょう。

日本経済を破壊し続ける竹中平蔵を「人間論」から読み解く [三橋TV第357回] 三橋貴明・浜崎洋介・高家望愛

https://www.youtube.com/watch?v=eP1NSlw8yzo&t=29s

山本太郎の「オールれいわニッポン」第27回 れいわ新選組公式ラジオch? 木村議員についてお話しします・・2021年2月26日放送

https://www.youtube.com/watch?v=FTh57J28PKo

断らない女『山田広報官招致』菅総理長男違法接待疑惑[国会ハイライト]

https://www.youtube.com/watch?v=xfgPe7pcRX4&t=328s

信仰というものは、いつもいうように本当の信仰せなあかん

何の為の信仰であるか良く考えやなあかん、大概我利我欲の信仰みな当たり前に

]思とる人多い信仰というものは自分の魂の向上を量る信仰てまなけりゃいかん自分の魂の向上

ということは、自分も幸せになる人も幸せに出来ること、うときができて来ないかん、

そうすると共に幸せに馴れ合うことが大事であると恋愛してもそれがいえる相手を十分に幸福にする

というだけの信念がなかったらこれ恋愛は言ってはいかんもんであるもししたら相手を不幸にしてしまう、自分も

祈りの掲示板

https://6909.teacup.com/inorigoi/bbs

南無阿弥陀仏

永代経法要 観無量寿経浄土真宗本願寺派

https://www.youtube.com/watch?v=qfn47jeQG7M

浄土宗 仏説阿弥陀経 お経

https://www.youtube.com/watch?v=BuvaD67N46U

浄土宗勤行 仏説無量寿経四誓偈 お経

https://www.youtube.com/watch?v=xyTmrkyigKU

2_ 仏を求め、宇宙の真理を求める旅路 知恩院から平等院

https://www.youtube.com/watch?v=UflK3y84tfI&t=170s

念仏者の生き方

仏教は今から約2500年前、釈尊がさとりを開いて、

仏陀となられたことに、始まります。

我が国では、仏教は元々仏法と呼ばれ

ていました。

ここでいう、法とは、この世界と私たち

人間のありのままの真実ということであり

これは、時間と場所を超えた

普遍的な真実です。

そして、この真実を見抜いてき

、目覚めた人を仏陀といい、私たちに

苦悩を超えて生きていく道を教えてくれるのが

仏教です。

仏教では、この世界と私たちのありのまま

の姿を「諸行無常」と「縁起」という言葉で

表します。

「諸行無常」とは、この世界の全ての

物事は、一瞬も留まることなく、

移り変わっている

ということであり、

「縁起」とは

、その一瞬ごとすべての物事は、原因や条件が互いに

関わり合って、存在しているという真実です。

したがって、そのような世界のあり方の

中には、固定した変化しない私というもの

は存在しません。

 しかし、私たちはこのありのまま

の真実に気づかず、

自分というものを、固定した

実体と考え、欲望の赴くままに

自分にとって損か得か、好きか、嫌いかを

など、常に自己中心の心で物事を捉えています。

その結果、自分の思い通りにならない

ことで、悩み苦しんだり、

争いを起こしたりして、

苦悩の人生から一歩たりとも自由になれないのです。

このように、真実に背いた自己中心性を

仏教では、無明煩悩といい、

この煩悩が私たちを迷いの世界に繋ぎ止める

原因となるのです。

なかでも、代表的な煩悩は、

むさぼり、いかり、おろかさ

の三つでこれを三毒の煩悩と

いいます。

親鸞聖人も煩悩を克服し

悟りを得る為に比叡山で20年

にわたりご修行に励まれました。

しかし、どれほど、励もうとも

自らの力では、煩悩を

断ち切れない煩悩の深さを

自覚され、ついに比叡山を下り

法然聖人のお導きによって

阿弥陀如来の救いの働きに出愚われました。

阿弥陀如来とは、

悩む、苦しむすべてのものを

そのまま、救い、悟りの世界へ

導こうと、願われ、その願い通りはたらき

続けて、下さって、いる仏さまで、この願いを本願

といいます。

我執、我欲の世界へ迷い込み、

そこから、抜け出せない私を、

そのままの姿で救う働きを続けてくださる

阿弥陀如来のご本願ほど、

有り難いお慈悲は、ありません。

しかし、今ここで、救いの中にありながらも、

その、お慈悲ひとすじに、お任せできない。

よろこべない、

私の愚かさ、煩悩の深さに

悲嘆せざるえません。

 私たちは阿弥陀如来のご本願を

聞かせていただくことで、自分本位に

しか、生きられない、

無明の存在であることに、気づかされ

出来る限り身を慎み言葉を慎んで、

少しでも、煩悩を克服する

生き方へ、とつくり変えられて

いくのです。

それは、例えば、自分自身の

あり方としては、

欲を少なくして、

足ることを知る「小欲知足」であり、

他者に対しては、穏やかな顔と優しい言葉

で接する「和顔愛語」という生き方です。

たとえ、それらが、仏さま真似事

といわれようとも

ありのまま、真実の教え導かれて

、そのように志して生きる人間

に育てられるのです。

このことを親鸞聖人は門弟に宛てた

お手紙で「(あなた方は)今、すべての

人びとを救おうという阿弥陀如来

のご本願のお心をお聞きし、

愚かなる無明の酔いも次第に

さめ、むさぼり、いかり、おろかさという

三つの毒も少しずつ好まなくなり

、阿弥陀仏の薬をつねに好む

身となって、おられる

のです」

とお示しになられています。

たいへん重いご教示です。

 今世界には、テロや

武力抗争、経済格差、地球温暖化、核物質の拡散

差別を含む人権抑圧など、

世界規模での人類生存に関わる、困難な問題

が山積みしていますが、

これらの、原因の根本は、生きる私たちの

無明煩悩にあります。

もちろん、私たちは、この命を終える瞬間

まで、我欲に執われた。

煩悩具足の愚かな存在であり

仏さまのような執われのない完全に

清らかな行いは、できません。

しかし、それでも、仏法を依りどころ

として生きていくことで、

私たちは、他者の喜びを自らの喜び

とし、他者の苦しみを

自らの苦しみとするなど、

少しでも、仏さまのお心

にかなう生き方を目指し、

精一杯努力させて、いただく人間になるのです。

 国の内外、あらゆる人びとに阿弥陀如来

の智彗と慈悲をただしく、わかりやすく

伝え、そのお心かなうように私たち一人ひとり

が行動することにより

自他ともに、心豊かに生きていくことのできる

社会の実現に努めたいと思います。

世界の幸せのため、実践運動の推進を

通し、ともに確かな、歩みを進めて参りましょう。

「仏教婦人会綱領」

  私たちは、親鸞聖人のみ教えに導かれて

  すべての人びとの幸せを願われる。

  阿弥陀如来のお心をいただき

  自他ともに

  心豊かに生きることのできる社会をめざし

  ともに歩み進めます。

  一、お聴聞を大切にします。

  一、「南無阿弥陀仏」の輪を広げます。

  一、み仏の願いにかなう生き方をめざします。

ビハーラ活動

 「仏教徒が、仏教・医療・福祉の

チームワークによって、支援を求め

ている人々を孤独のなかに置き去り

にしないように、その心の不安に共

感し、少しでもその苦悩を和らげよ

う」と、浄土真宗本願寺派はビハー

ラ活動を1987年に始めた。

 活動を広げるために宗派はビハー

ラ活動者養成研修会を開く。その修

了者が中心となり、病院や施設訪問

をはじめ、各地で苦悩の人に寄り添

うさまざまな活動を展開している。

「私たちのちかい」について親教

 私は伝灯奉告法要の初日に「念仏者の生き方」と題して、大智大悲からな

る阿弥陀如来のお心をいただいた私たちが、この現実社会でどのように生き

ていくのかということについて、詳しく述べさせていただきました。このた

び「念仏者の生き方」を皆様により親しみ、理解していただきたいという思

いから、その肝要を「私たちのちかい」として次の四カ条にまとめました。

   私たちのちかい

  一、自分の殻に閉じこもることなく

    穏やかな顔と優しい言葉を大切にします。

    微笑み語りかける仏さまのように

  一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず

    しなやかな心と振る舞いを心がけます

    心安らかな仏さまのように

  一、自分だけを大事にすることなく

    人と喜びや悲しみを分かち合います

    慈悲に満ちみちた仏さまのように

  一、生かされていることに気づき

    日々に精一杯努めます

    人びとの救いに尽くす仏さまのように

 この「私たちのちかい」は、特に若い人の宗教離れが盛んに言われておりま

 す今日、中学生や高校生8、大学生をはじめとして、これまで仏教や浄土真宗

 のみ教えにあまり親しみのなかった方々にも、さまざまな機会で唱和してい

 ただきたいと思っています。そして、先人の方々が大切に受け継いでこら

 れた浄土真宗のみ教えを、これからも広く伝えていくことが後に続く私たち

 の使命であることを心に刻み、お念仏申す道を歩んでまいりましょう。

 真宗教団連合結成50週年共同宣言

 私たち真宗教団連合は、結成より50年を迎えるに当たり、

ここに宣言します。

1、私たちは、いのちのあるすべての存在が互いに響き

  合う世界、誰一人取り残されることなく、共に生

  きることのできる世界を目指し、取り組んでまい

  ります。

2、前項の目的を達成するため、世界の開かれた真宗教

  団として共同し、各宗派間における情報交換や事

  業交流を進めるとともに、他団体とも広い協力関

  係を構築するよう、つとめて参ります。

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大調和をうたってますね。

京都自死・自殺相談センター Sotto

https://www.kyoto-jsc.jp

SDGs(持続可能な開発目標)とは何か?17の目標をわかりやすく解説|日本の取り組み事例あり

https://miraimedia.asahi.com/sdgs2030/sdgs-description/

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浄土真宗の活動です。

なかなか、市民に添ってま

す。

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