ミロクの世令和3年4月号、身延誌令和3年4月号、本願寺新報2021年4月1日、室伏謙一×森井じゅん、あるがままラジオ、祈りの掲示板、天台宗

2021年03月30日


ミロクの世令和3年4月号、身延誌令和3年4月号、本願寺新報2021年4月1日、室伏謙一×森井じゅん、あるがままラジオ、祈りの掲示板、天台宗

ミロクの世令和3年4月号

おほもとしんゆ

                                大正六年旧十月二十六日

二度目の世の立替えの、艮を刺すのが近う成りて来たぞよ。何も経綸通りに致すぞよ。

西と東とに、初発の御宮を建てて頂いて、元の昔へ世を戻す時節が参りて来たから、大神が揃うて元の

神宮へ立ち帰りて、神代に立替えるから、何事に付けても大望斗りで在るぞよ。世の終いには艮と、世の

始まりとの境の筆先であるぞよ。

余り大望な御用で在るから、三体の大神が西と東の新宮に降り昇がりを成されて、天からの御手伝いを

成さる実地が、歴々と出口直の目には見えるぞよ。

火の元も、天からで在るぞよ。水は、天の根本の世の元の御先祖様が、斯の世の元に拵え成されて、鉄

の棒が針に成る所までの御苦労を遊ばし、斯の世には、夫婦と云う事を拵えねば世が立ちて行かんから、

泥海の中に御居でまして、何彼の経綸を成されて、初発に地の世界を創造なさるに力に成る御夫婦の

御霊から、何も彼も、ミロク様の御骨折りであるぞよ。

外に身魂は湧かして在りても、御力に成らん筋の違う身魂で在るから、是だけ長らくの御苦労なされた

ので在るぞよ。

ミロク様でも、地で御出生なされた御先祖様であるぞよ。力に成さる、天地を創造る御血筋を、夫婦揃

えて置いて、天へ御上がり遊ばすぞよ。天に御すまいの出来る如うに致して置いて、地の泥海を固め締

めるには、竜宮の音姫殿一輪の御手伝いで、天地を修理固成た国常立尊とミロク様との、元からの

動かぬ仕組みであるから、何事も経綸通リに致すぞよ。

余り世界の事が惨いごとに成りて居るので、手も足も差し出す事が出来ん如うに、真暗がりの世になり

て居るから、立替えを急激に致しても、後の立直しが中々大望であるが、立直しについては、御三体の

大神様を、モ一つ上へ御上がりを願わねば成らぬ。夫れに就いては、何彼の仕組は為て在るから、天地

の先祖の経綸通りに致すぞよ。

今度の事は智慧や学では出来ん事で在るから、何事も素直に致して、御用を聞いて下さりたら、斯の世

を自由に致す元の活神が、直々に致さな成らん時節が廻りて来たので在るから、是迄の行り方が一寸で

も混ぜたら、跡戻りを致して、仕組が違うたら、初発から仕直しを致さな成らん大本であるぞよ。

                             (『おおもとしんゆ』第三巻から)

身延誌令和3年4月号

今月の人

 鋳金造形作家

 東京慶術大学名誉教授

              戸津圭之介さん

 戸津先生は長年に亘り国宝や重要文化財などの調査

や修復に携わってこられたということですが。

【戸津氏】

 私が文化財に携わるきっかけになったのは、藝大卒業

後間もなく、東大寺大仏の鋳造技法に関する調査グルー

プの一員に加えて頂いたご縁でした。

 東大寺の大仏は天平創造の時は元々黄金色に輝いてい

ましたし、四天皇も脇侍も並んでいました。今でも蓮弁

の所にはその名残があります。この東大寺の調査がご縁

で、これまで文化財にずーと携わってまいりました。

 堀之内妙法寺の文化財である灯篭の修復や、平泉中尊

寺の松尾芭蕉像の制作、法隆寺の国宝・百済観音像御宝

前の五具足と常夜灯の制作など色々な事をさせて頂きま

した。全ての事が自分一人で出来たことではなく、多く

のご縁がありました。自分だけで生きてきたのではない、

生かされて来たのだなとこの年になってしみじみ思って

おります。

 戸津先生は銅の合金に長く携わってこられたようで

すが。

【戸津氏】

 私が携わってきたものはブロンズという言い方を今は

しています。梵鐘もそうですが、銅が中心でそれに何を

加えるかによって、様々な色合いになります。表面の処

理と薬品の配合で全然色が違ってくるのです。同じブロ

ンズでも、アンモニア系の薬品で色を付けると緑色にな

ります。今、梵鐘の話が出ましたが、これらは銅と錫が

合金されています。錫の量が多くなればなるほど硬くな

り、色も白くなっていきます、錫の量が二十パーセント

以上になると真っ白になります。これが白銅といわれる

ものです。法華経の方便品の中に「喩鉐赤白銅」と金属

の名前が出て来ます。喩鉐というのは真喩のこと、白銅

は錫を多く入れた合金です。経典の成立年代あるいは翻

訳年代との関係が考えられますね。中国には金銅仏など

も多くみられます。いろいろ配合によって色も変わって

来るということです。

 先生は最近仏教説話などを題材とした作品を手掛け

ておられるそうですが。

【戸津氏】

 きっかけになったのは東日本大震災です。震災直後か

ら何か自分に出来ることはないかと思い、三月十一日以

降、隔月で被災地に行きました。そして、避難所とか仮

設の幼稚園や施設で子供たちを集め、絵を描くプロジェ

クトを行ったのです。最初は私自身も非常に気が滅入っ

ていたのですが、子供たちの元気な顔を見て、こちらが

逆に元気をもらって、それからまた仕事が再開出来たと

いうご縁を頂きました。

 父親が日蓮宗のお坊さんと昵懇にさせていただいたこ

とから、わが家に法華経がありました。写経などもさせ

て頂きながら、今昔物語などの仏教説話をお厨子の中に

あらわした作品を手掛けております。

 これからの作品作りについてお聞かせください。

【戸津氏】

 これから、仏陀の誕生から涅槃までの生涯を作品にし

ていきたいと思っています。説明的なものではなく、一

つの情景として小さなお厨子の中に納め、法華経から醸

し出される雰囲気をあらわすことが出来れば有難いです。

そして、それを子供

たちに見てもらえる

ような作品にして、

子供のうちに仏教的

な感覚を受け取って

貰えたらと思います。

       インタビューアー 布教部長 豊田慈證

本願寺新報2021年4月1日

生きづらさ感じてませんか?

貧困問題

 「貧困問題」についてここで

連載することになった。一言に

貧困問題と言っても多種多様な

貧困が存在し、十把一絡げに論

じることはできない。もちろん

全体像を把握するために貧困問

題の概要が事例ごとに学んでい

くことが大切ではないかと考

え、初回は私が関わる路上生活

者支援について話そうと思う。

 かれこれ7年ほどになるだろ

うか。大学の先輩で、兵庫県姫

路市の本願寺派寺院の住職さん

の誘いで路上生活者支援の活動

に関わることになった。支援に

関わり始めた頃には戸惑いがあ

った。そもそも、それまで路上

生活者と関わったことがなく、

そうした人々が新参者の私を警

戒するのも無理はない。事実、

当初はそのような目で見られ

た。

 日本の法で定められている路

上生活者の定義では「都市公園、

河川、道路、駅舎、その他の施

設を故なく起居の場所とし、日

常生活を営んでいる者」と限定

されている。この定義をもとに

した路上生活者数は、2007

年から20年にかけて8割ほど減

少している。この数字だけで判

断するなら、日本の貧困問題は

それほど深刻とは思えない。た

だ安定した住居がなく、例え

場「ネットカフェ難民」をはじ

めとして、生活困窮者は膨大な

数にのぼっているという指摘も

ある。しかも、その実態が見え

にくくなっているのが現実だろ

う。私が活動で関わる路上生活

者の方々もさまざまな生活をし

ているのが実際である。

 私は、炊き出しの会(毎週月

曜日に実施)に月1回参加し、

いなり寿司を配っている。姫路

のお寺の門徒さんが作られたい

なり寿司を配り、必要に応じて

集まってきた人の話を聞いてい

るのである。それほど大したこ

とをやっているわけではない。

 彼らの話には、それぞれにさ

まざまな思いがあり、興味深い。

それは、おいおい話することに

して、今回言いたいことは「部分

共有」することの大切さである。

どうも人間というものは完璧で

ないと安心できない。しかし、完

璧なもので関わっていくと、長

く継続させることが困難な場合

もある。できる時にできるこ

とを、できるかぎり行うという

スタンスで関わることで、これ

まで見えにくかった社会の一側

面に目を向けることができるよ

うになる。

 「貧困問題」の解決の糸口は、

まずその実状を知ることであ

る。その一歩として部分的な関

わりということを考えてはどう

だろうか。知ることとは、情報

を集めるだけでなく、自分の目

で見て、体で感じて、頭で考え

ることから始まる。

税は財源じゃない?!「なら無税国家でOK?」←絶対ダメ!(室伏謙一×森井じゅん)

https://www.youtube.com/watch?v=GDWjtp2gsf4&t=94s

自分の顔を立てるため国民を殺す政治家。その裏で日本国を操るGAFAの思惑とは [2021 3 29放送]週刊クライテリオン 藤井聡のあるがままラジオ(KBS京都ラジ

https://www.youtube.com/watch?v=YMP1awUWj1k&t=1238s

だからすぐおしえてあるのはどこまでも疑えよっっ、教えてある

疑うても疑うてもどうしても、疑えないというところまでえたごうて、

初めて信ずることができるようになる、ここまでいったらどんなことが

あっても迷いがこんねんそれはもう神と一つの心になりきれておるから

波長が会えば迷わないだから人間の心持っとるうちは我があり欲がある、

我と欲があるうちは必ず迷うこれであるから我も欲も捨てよこう教えてある

だから外観に捕らわれるうちは中がわからん、全てを心から尊ぶことが出来た時に

すべての恵みを受けられるとこう教えてある

だからみんなの信仰はまだ偏りがありすぎるということ、

中が一つも分かっておらん外観だけそれは自分の心に体裁を作ることが

残っておるまだ本当のどん底になっておらんねん下になりきっておらんから

そうなる、上なろうよう見て貰おうよう思うて貰おうってというもんがある、

人から踏みつけられるということがまだ出来ておらんねんこれが足の裏になれよ

と言うその足の裏がまだ自分になりきっておらんねん、だから人からわるいわれたら、

腹立つ人間やからこういうことなる、だからだんだんと悪う言う人が多くなってくる。

祈りの掲示板

https://6909.teacup.com/inorigoi/bbs

己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり、伝教大師

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これは、老子講義にも載ってます。

以前、説明しました。

聖人の生き方です。

天台小止観よりP101

魔事を覚知せよ

魔羅とは、梵語で、中国では、殺者と言う意味がある。修行者の功徳の財産を奪い智彗の命を

殺してしまうからである。魔事とは、仏は、功徳と智彗をもって衆生を済度して涅槃に入らしめることを

修行にしているが。ところが、魔も同じように、つねに人の善根を破壊して生死の世界に流転せしめることを

仕事としている。もし、心を仏道におくと、道が高ければそれだけ魔もまた盛んになる。だからどうしてもよく

魔事を織っておかなければならない。

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ですので天命が高いほど魔も高くなるんです。


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