ミロクの世令和3年6月号、本願寺新報2021年6月1日、【ひろゆき×三橋貴明】、saya、教え、祈りの掲示板、不動明王と三十六童子
ミロクの世令和3年6月号、本願寺新報2021年6月1日、【ひろゆき×三橋貴明】、saya、教え、祈りの掲示板、不動明王と三十六童子
ミロクの世令和3年6月号
開教百二十九年
みろく大祭ごあいさつ
出口 紅
Estimataj kaj karaj gesinjororoj ciuj tutlandaj, mi turnas al vi kun elkoraj saluto
kaj gratulo pro Granda Festo de Miroku.
全国の信徒の皆さま、みろく大祭おめでとうございます。
目にも鮮やかな新緑の美しい季節の中、今日は早くも立夏を迎えました。
ただ今は、開教百二十九年みろく大祭にすがすがしくお仕えさせていただきまして、誠にありがと
うございました。
新型コロナウィルスは、いったん収束に向かうかと思われましたが、感染力の強いと言われるさま
ざまな変異ウィルスの感染が、全国で急速に拡大しております。各都道府県にも緊急事態宣言が出され
ていますので、本日のみろく大祭はには、昨年同様、ライブ配信を通してご参拝いただくこととなりま
した。今回は皆さまにお会いできるものと心から楽しみにしておりましただけに、とても残念ですが、
もうしばらくは感染拡大につながる行動を慎まなければならないと存じております。
しかし、今日の祭典では大勢の皆さまの真剣な祈りがこちらまで伝わってくるようで、大変ありが
たく、心強く思わせていただきました。
昨日は、三代教主・教主補さまのご聖誕とともに、私の教主就任二十周年を慶祝する生誕祭にもご
参拝をいただき、ありがとうございました。全国の皆さまから、真心の込もったお祝いを頂戴いたし
まして、心より厚く御礼を申しあげます。
祭典後の、特別奉納「全国愛善歌オンライン奉納」では、北海道から南九州まで、三十機関、
四百二十人もの方々がご参拝くださり、それぞれが違う場所で撮影されたにもかかわらず、善言美詞
の基本宣伝歌の言霊が、美しいハーモニーで一つに調和しており、とても素晴らしいと思いました。
また、家族的な雰囲気がよく伝わってきて、皆さまのご表情も大変明るく、とてもうれしゅうござい
ました。
この愛善歌奉納は、四代教主さまが「世の中を清めるためにも愛善歌の言霊を響かせたい」とおっ
しゃったことから、平成七年の阪神・淡路大震災が起きた年に始められたものでございます。天界の
四代教主さまも、皆さまの基本宣伝歌の奉納をたいそうお喜びのことと存じます。
また、昨日四日には、天恩郷の三代教主さま、四代教主さまがお住まいでございました「葉がくれ居」
や、月宮宝座西側に立つ「奏安居」「洗月亭」などの茶屋や庭を、本日梅松苑では鶴山麓の茶屋「鶴山
居」、待合「遊亀亭」を公開し、信徒の皆さまにご覧いただく予定でございました。節分以降、本部長
をはじめ本部職員一同が力を合わせて、神苑護持作業として建物やお庭、その周辺を何日もかけてき
れいにしてくださり、皆さまのお越しをお待ちしておりました。
私は本部長の方々が心一つに、全国の信徒の皆さまを気持ちよくお迎えし、お喜びいただけるよ
うにと心を込めてご奉仕してくださる様子がとてもうれしく、来苑される信徒の皆さまの当日の笑顔
を想像しながらこの日を楽しみにしておりました。ご案内できなくてとても残念ですが、せめて映
像でお届けしますのでご覧いただきたいと存じます。
さて、このみろく大祭は、九十三年前の春。聖師さまが御齢五十六歳七ヶ月お迎えになった昭和
三年三月三日、聖師さまご自身が晴れて"みろく下生"を宣言されましたみ祭りに始まり、みろくの
世を来たらすために降臨されました"みろくの大神さま"をお讃えし、神人和楽のみろくの世の成就
を祈念申し上げる春の大み祭りでございます。
振り返りますと、二十年前、平成十三年の二十一世紀初のみろく大祭が、私にとっては大本教主
として初めてお仕えした大祭でございました。以降、今日まで、大神さまの絶大なご守護と歴代教主・
教主補さま方のお導きを強く感じながら、多くの方々のお力をいただき、貴重な体験を重ねさせてい
ただいてまいりました。人のご恩、ありがたさ、温かさに深く触れさせていただき、感謝でいっぱい
の二十年でございます。
また平成十三年、初めての瑞生大祭のごあいさつで。「『大本がよくなれば、世界がよくなる』とい
う奇しびなみはかりをいただいているお道の、尊い使命のもとに、良き型が出せるよう、老いも若き
も心ひとつに、ともに力をあわせて誠実で、うそのない、謙虚に、和やかに、秩序と思いやりのあ
る明るい教団をめざしてともに進んでまいりたいと存じます」と申し上げたことを思い出しますが、
二十年前のそのときの思いは今も全く変わらず、本部も地方機関も人を大切に敬い、慈しみながらお
互いに協力し、神さまを中心に和合の梅の姿にならせていただけるようにと心から願っております。
昨年来続く、新型コロナウィルス感染拡大をきっかけに、世界は進む方向を大きく転換してゆかな
ければならなくなりました。これからの時代は、神さまを中心とした人間の在り方でないと何事ももう
まく進まないと神さまから諭されているように感じております。
尊師さまは『信仰覚書』の中で
「つねに心をひろく、大きく、ゆたかに持つ工夫をすることが、一番必要なことであります。
つねに感謝にみちた愉快な気持ちで暮らす工夫が、一ばん大切であります。
どんな人に対しても、けっして悪く、これを思ってはなりません、つねに、あたたかい同情と好意
とを持って接せねばなりません。
どんな事件に出会っても、決して、これにショゲかえって悲観や絶望をしてはいけません。『これも
何かの神さまのご慈悲である、大難を小難にまつりかえて下さったのだ』と、よい方に解釈して、有
難く嬉しく日を送る心になりさえしたら。もう天国はその人の所有となっているのであります。
何事も神意にまかして、あせらず、あわてず、その日その時のベストをつくして、一生を一日のご
とくに悠々とおくる工夫をせねばなりません。
天国へ行くのも地獄へ落つるのも、みな自分自身が平素からの心の状態がつもりつもって、必然的
にそうなるまででありまして、けっして、神さまが連れて行かれるものでも、また社会がそう強いる
ものでもありません。みなみずからの心の持ち方ひとつが作り上げるのであります」
と、自分の周辺に天国をつくるのも、地獄をつくるのも、一人一人の心の持ち方次第であるというこ
とを教えていただいています。
物事に執着し、私利私欲によって争い、妬みや嫉みで人を傷つけ、自分自身の身魂を自ら曇らすこ
とのないよう、常に心を広く、大きく、豊かに持ち、感謝に満ちた温かい気持ちでお互いを思いやって、
身魂を磨き合い、学び合い、実力を高め合いながら、皆さまと一緒に地上天国の住人とならせていた
だきたいと念願いたしております。
最後に、皆さま方のご健康とお幸せを心より祈りつつ、またおめもじかないます日を楽しみに
お待ちいたしております。
本日はご参拝、誠にありがとうございました。
神によりしわが言の葉も為す業も皆喜びのおとづれとなる(聖師さま詠)
令和三年五月五日
本願寺新報2021年6月1日
生きづらさ感じてませんか?
貧困問題
インドが大変な状況になって
いる。今年の3月中旬から新型
コロナウィルス感染の「第2派」
の影響で5月7日の新規感染者
数は41万4000人を超え、連
日世界最多を更新している。報
道を見入ると、首都のデリーで
は医療崩壊の危機にひんしてロ
ックダウン(都市閉鎖)となり、
病床も医療用の酸素も不足し、
まともな治療を受けることがで
きない状態が続いているとい
う。ひとたび罹患すればただち
に死を覚悟してもおかしくない
状況であり、ただただこれ以上
命を落とす方が出ないことを願
うばかりである。
そのような中で、先日、デリ
■外の世界と関わる
相愛大学准教授 井上 陽
ーに住むインド人の友人に電話
したら、このようなことを言っ
ていた。「一番困っていることは
仕事を失って貧困状態にあるこ
と。まるで生き地獄である」。
たしかにウィルスの怖さはある
が、一方でこの状況で仕事を失
い生活に困窮する事態だってあ
る。私が関わっている路上生活
者支援でもそれは実感する。
そのような中、5月5日、日
本政府はインドへ約55兆円の追
加支援を行うと発表した。これ
でインドの貧困問題が解決する
わけではないが、少しでも感染
拡大を防止するための援助を行
うという点で意味のあることだ
と思う。国内のことを考えるこ
とも大事ではあるが、困ってい
る国、人がいるなら、進んで
援助するということもあっても
よいのではないだろうか。「情
けは人の為ならず」である。
ところで、路上生活者支援を
行っていてしばしば感じるの
は、キリスト教関係者の支援の
積極性である。「アガペー(無
償の愛)」の精神に基づく活動だ
ろう。残念ながらその点で仏教
は弱いと感じる。自分たちの枠
組みに取り組もうとすることは
あっても自らその枠組みの外
側に出て活動を行うことは少な
いように感じるからだ。
先にインドの追加支援のこ
とを述べたのは、自分たちのこ
とだけでなく外の世界と関わろ
うとする姿勢を感じたからだ。
仏教関係者も支援をやってい
ないわけではない。子ども食堂
なり、お供えのおやつを配った
り、さまざまな活動を行ってい
る。ところが仕事を失い、全
ての生活を失った方々への支援
となると圧倒的に少なくなる。
いかにお寺に足を運んでもら
うようにするかという視点で
寺院運営を考えることももちろ
ん重要である。が、お寺という
枠組みを出て外の世界へ飛び込
み、そこと関わろうとすること
も大事なのではないか。何かを
伝えるだけでなく、その外側に
ある「声にならない声」に耳を
傾けるような行動があってもよ
いのではないだろうか。三度目
の緊急事態宣言下でそのような
ことを感じている。
【ひろゆき×三橋貴明】徹底討論!1人産めば1,000万円支給せよ?
https://www.youtube.com/watch?v=1IkiTKn_zP4
【フル歌詞付き】童謡・月の砂漠(ピアノver./Covered by saya)
https://www.youtube.com/watch?v=mMqzFe-yCPI
これ逆にしたらええねんやなことは自分がさして
徳積まして貰おうこういうふうにやったらええねんええことは早く
先人にさして貰おう食べて貰おう風呂ひとつ入るんでも皆我先にと入る
けれどみんな先お入りなさいという心構えができたらこれは交代で入りましょか?
とこうなるそうするとそこには矛盾も何もなく本当に行けるようになってくるそういう点が
みんなかけておるということは思いやりがひとつもない我先にという浅ましい根性は
修養したものにはあるはずがないそれであるからもう
なんもことなしに箱に入れるかこれがと人が大なって来るとそうは行かんように
なってしまうあれ好きという根性できたらもうどんな尊い所も団体生活もみんな破壊
してしまうそれをよう悟らなならんそうすると1日の生活に置いてもまだまだ感謝せなならん
所をせんでおる所が沢山あるんではなかろうかいつも教えられてる本当に身を持って実行してる
かどうかということを考えてみる
不動明王と三十六童子
https://www.youtube.com/watch?v=5rGxGhmh7w4
お経
https://www.youtube.com/watch?v=qjYxb3nK3cc
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不動明王と童子です。