微積分、禅の友2021年6月号、三橋TV、教え、祈りの掲示板、黒住教
微積分、禅の友2021年6月号、三橋TV、教え、祈りの掲示板、黒住教
微積分が、必要かと言うがプログラム組むには
ロジック考えるときに基礎的な数学の、知識は必要だよ。
これがないのとあるのとでは出来たロジックが違うよ。
教育に、プログラム導入するのに、その、基礎となる数学を疎かにするのはいただけない、
人材しか、闘うことできないんだから、
義務教育は、高校までと、すべきだよ。
禅の友2021年6月号
前回、道元さまから、唐の皇帝、太宗が人々
の状況、心情を考慮し、新しい宮殿の建設を秋
まで待ったという話が紹介されました。
そこでは、人々が困るようなことをしなけれ
ば、自ずと天意に叶い、皇帝は身体堅固でいる
ことが出来る、という太宗の信念がありまし
た。今回はその続きとなります。
【巻四ー六(2)】
況や仏子、受、如来家風、一切衆生を
如、一子可憐。属我侍者所従なればとて、
呵責し煩はすべからず。何況同学等侶、耆年宿
老等を、恭敬する事、如如来すべしと、戒
文分明也。然ば、今の学人も、人には色に出て
知れずとも、心中に上下親疎を不別。為人
よからんと可思也。大小の事につけて、人を
わづらはし、心を傷こと不可有也。
道元さまからすれば、太宗は皇帝といえども
世俗の人です。その世俗の人ですら、天意に叶
うことを思い、人々のことを大切に考え、自ら
の欲を抑制している事実があるのです。まして
や仏の子孫とも言うべき禅の修行者であれば、
如来の家風、考え方を受け止め、あらゆる生き
ものに対して、ただ一人の子どものように愛お
しまなくてはいけない、ということになります。
例えば、自分付きの侍者だからといって、あ
るいは自分の部下だからといって、怒鳴り飛ば
して叱りつけ、苦悩させるようなことがあって
はいけない、と示されています。
ここで、「侍者」とは、高僧の秘書役、あるい
は身の回りの世話係といった役のことで、「所
従」とは、家来、手下、部下といったニュアン
スの言葉です。役職の上下関係として、何ら
かの指導や改善点の指摘が必要になるにして
も、そこで大声で威嚇するような追い込み方を
してはいけない、ということです。
この辺、道元さまの言葉には、非常に現代的
なものを感じます。いかなる立場の相手であっ
ても、一人の人間として尊重し、最大限の敬意
を払う姿勢が見て取れます。こういう感性は、
道元さまの時代にあっては、非常に希有なもの
だったのではないかと想像します。
それはそうと、下の者に考慮すべきである以
上、道元さまは「ましてや、一緒に仏道修行に
勤しむ仲間たちや熟練した先輩たちに対して
は、仏さまと同じように敬い慕いなさい」と言
われます。そして、このことは戒律の言葉から
も明らかであるとされています。
ここで言う「戒文」つまり戒律の言葉とは
どこに見えるものか? という問題がありま
す。道元さまは「明らかである」と言うもの
の、ここにピタリと当てはまる文献は見つかり
ません。ただあれこれ調べて『禅苑清規』巻
九「沙弥受戒文」に見える「和尚・阿闍梨に於
いて一に如法の教えなれば、上中下座に於いて
心、常に恭敬せよ」という部分を指摘している
人もいます。
道元さまの書かれた『対大己五夏闍梨法』に
記される定義によれば、「和尚」とは正式には
戒和尚と言い、十年以上の修行をした高徳にし
て戒を授ける資格のある僧侶を指します。また
「阿闍梨」とは、五年以上の修行をし、力量も
優れている僧のことで、和尚の候補生というこ
とになります。
そうしますと、この言葉は「和尚さまや阿闍
梨さまの言葉は、正しい仏法の教えそのもので
あるから、上下関係に関わらず、常に敬い敬い
なさい」という意味と思われます。
因みにこの『禅苑清規』の言葉のルーツは、『沙
弥十戒法井びに威儀』の「和上(和尚のこと)、
阿闍梨の一切は如法の教えなれば、違逆するこ
とを得ざれ。上中下坐、心、常に恭敬せよ」と
いう言葉と思われます。
ただ「沙弥」は、正式な僧侶になる前の見習
い僧のことですが、実は曹洞宗にはこの立場が
ありません。従って道元さまが、この言葉を引
用するには少し疑問が残ります。
それで想起されるのは、『梵網経』という戒
律の経典に、第一軽戒(違反した場合、罪を告
白して許される戒律)として「既に戒を得己れ
ば、孝順心・恭敬心を生じ、上座・和座・阿闍梨・
大同学・同見・同行を見ては、応に起ちて承迎
し礼拝し問訊すべし」という言葉でして、これ
は、戒律を受けたなら、先輩から同輩まで、す
べての人を敬い慕う気持ちを持ちなさい、とい
う戒律の条文になっています。
『随聞記』の「同学等侶」とは修行仲間、同
輩のことで、『梵網経』の「大同学・同見・同
学」とほぼ同義です。ただし「大同学」の「大」
については「大乘」「大徳」等、諸説あります。
また『随聞記』の「耆年」も「宿老」も修行の
経歴も長い高徳の老僧のことで、『梵網経』の「上
座・和尚・阿闍梨」がこれに該当します。
「承迎」は「恭謹承迎」の略で、謹んでお迎
えすること、「問訊」はご機嫌を伺う挨拶で、
合掌して頭を下げる形になります。承迎も礼拝
も問訊も、敬意を表す行為ですから、『梵綱
経』では、指導者から先輩、同輩に至るまで、
敬意を持って接することが戒律になっていま
す。そして敬意という意味では当然のことです
が、これらすべて如来に対する接し方にもな
るわけです。
つまるところ『禅苑清規』も『梵綱経』も、
必ずしも、明確に「如来のように恭敬しなさい」
とは言っていないものの、仏教徒が敬い慕う限
りにおいては、結果的に、あらゆる禅僧に対し
て如来と同じように敬意を持って接することに
はなるのでしょう。
少し難しい文献の話が続いてしまいました
が、大切なことは、上下関係に関わらず誰に対
しても尊重し敬意を払うことが、仏法に叶うこ
とになるということです。このことは、前回道
元さまが紹介されていた、人々の安らぎを実現
するという天意に叶うことを目指した太宗の話
と重なるものと思います。
さて、禅僧の誰に対しても敬意を持つことが
仏法である以上、道元さまは、禅の修行僧たる
者ならば、それが他人に気付かれないことで
も、心の中で、相手との上下関係や親しい親し
くないなどと区別をつけるのを止めた上で、誰
かのためになることを考えて行動すべきであ
る、と言われます。
人に敬意を払う時、それが大きなことでも小
さなことでも、他人に煩わしい思いをさせた
り、心を痛ませたりするようなことはしてはい
けないのだ、と道元さまが示されるのも、また
当然のことでありましょう。
「帝国」とは何なのか? 今、日本国民が知らなければならない歴史的真実 [三橋TV第394回] 三橋貴明・高家望愛
https://www.youtube.com/watch?v=K8wGrT26HMw&t=628s
必ずそこには天地の声という物語るうけられる、
そして世のため人の為に尽くすとこの力を得られるのである
それが人間と今度は神と二人ずれということなる人間業ではない神の働きを
得ると言うことがわかってくるそれであるから良くない命を助けられたもう難病の
難病を救われたという人は早くそうなれる一切の行徳を積むためには光明自在の
高徳一切の心中の中にあると言うことをよう悟らなそして喜びの中に行徳をするように
心から念ずるまだ信仰して本当にわからんと心から念ずることができん所がドン底に落ちた場合
はわらからんでも、神があるもないもわからんで良い一生懸命なるはずであるそれがなれんのは
どっちかと言うと災いの方が強い場合
祈りの掲示板
https://6909.teacup.com/inorigoi/bbs
令和3年修行目標 黒住教
活かし合って取り次ごう!
御七カ条
日々家内心得のこと
一、神国の人に生まれ常に信心なき事
一、腹を立て物を苦にする事
一、己が慢心にて人を見下す事
一、人の悪を見て己れに悪心をます事
一、無病の時家業おこたりの事
一、誠の道に入りながら心に誠なき事
一、日々有り難き事を取り外す事
右の条々常に忘るべからず
恐るべし 恐るべし
立ち向こう人の心は鏡なり
己が姿を移してやみん
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世の中はみな丸事のうちなれば
ともに祈らんもとの心を
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大 祓 詞
高天原に神留り坐す 皇親神朗岐 神朗美の命似
ちて 八百万神達を神集へに集へ賜いひ 神議りに
議り賜ひて 我が皇御孫命は 豊葦原水穂国を
安国と平けく知ろし食せと 事依さし奉りき 此
く依さし奉りし国中に 荒振る神等をば 神問は
しに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 語問ひし
磐根 樹根立 草の片葉をも語止めて 天の磐座
放ち 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 天
降し依さし奉りき 此く依さし奉りし四方の国中
と 大倭日高見国を安国と定め奉りて 下つ磐根
に宮柱太敷き立て 高店原に千木高知りて 皇御
孫命の端の御殿仕へ奉りて 天の御蔭 日の御蔭
と隠り坐して 安国と平けく知ろし食さむ国中に
成り出でむ天の益人等が 過ち犯しけむ種種の罪
事は 天つ罪 国つ罪 許許太久の罪でむ 此
く出でば 天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切
り 末打ち断ちてて 千座に置座に置き足らはして
天つ菅麻を本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取
り辟きて 天つ祝詞の太祝詞事を宣れ
此く宣らば 天つ神は天の磐門を押し披きて 天
の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さ
む 国つ神は高山の末 短山の末に上り坐して
高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし
食さむ 此く聞こし食してば 罪と言ふ罪は非ざ
じと 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く
朝の御霧 夕の御霧を 朝風 夕風の吹き払ふ事
の如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艫解
き放ちて 大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁
木が本を 焼鎌の敏鎌以ちて 打ち掃ふ事の如く
残る罪は存らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 高山
の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ
速川の瀬の坐す瀬織津此売と神 大海原に持
ち出でなむ 此れ持ち出で往なば 荒潮の潮の八
百道の八潮道の八百会に坐す速開都比売と言
ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 気
吹戸に主す気吹戸主と言ふ神 根国 底国に気吹
き放ちてむ 此く気吹き放ちてば 根国 底国に
坐す速佐須良此売と言ふ神 持ち佐須良ひ失ひて
む 此く佐須良ひ失ひてば 罪と言ふ罪は存らじ
と 祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 国つ神 八
百万神等共に 聞こし食せと白す
中臣大祓詞・祓詞|罪(つみ)、咎(とが)、穢れ(けがれ)、邪念(じゃねん)、妄想(もうそう)を祓い清め、神霊に近づくこと。|祓い清めの儀
https://www.youtube.com/watch?v=5Xc1E_Sd_o0
↑
こちらが正式です。
以下はいらない
大祓詞
https://www.youtube.com/watch?v=IjIhA4GSTp4
大祓詞 練習用(標準速度)
https://www.youtube.com/watch?v=baURxhmqvSg
【初音ミク】大祓詞-Song of The Oharae-
https://www.youtube.com/watch?v=ut8jZoXu8BQ
天津祝詞
https://www.youtube.com/watch?v=Y7PKWF_-15Q
天津祝詞(基準ピッチ432Hz)
https://www.youtube.com/watch?v=2QzKTceF0qs
大祓詞は神道の奥義らしいです。
大祓詞意味
https://www16.tok2.com/home/kaminohachiman/sub7.htm