本願寺新報2021年9月10日、愛をかけよ 552号より金光教、愛をかけよ 553号より金光教、東京8区、比叡山時報令和3年09月8日
本願寺新報2021年9月10日、愛をかけよ 552号より金光教、愛をかけよ 553号より金光教、東京8区、比叡山時報令和3年09月8日
本願寺新報2021年9月10日
生きづらさ感じてませんか?
子ども 家庭
今年はある女性とのエピソー
ドを紹介させていただきます。
昨年、私にSNSで「ゆきちゃ
ん」とだけメッセージを送って
きた24歳女性のお話です。
コロナ禍で仕事を失い、所持
金ゼロ円で路上生活をしていま
した。話を聴くと、「何を相談
すればいいのかわからない」、2
日悩んだ末に私の名前を呼ぶと
いう結論に至ったそうです。
虐待を受けて育った彼女は、
頼れる親族が一人もいませんで
した。親から食事を用意しても
らったことがなく、学校もまと
もに通ってませんでした。中
学卒業と同時に家を出て大阪の
繁華街「ミナミ」で生きてきま
一緒に食べる温もりが人を救う
大阪府子ども家庭サポートセンター 辻 由起子
した。「助けてくれる大人はい
なかったの?」と質問すると、
小学校の先生が虐待に気付いて
親に注意をすると、家に帰って
からさらなる虐待がおそってき
たそうです。それ以来、人に頼
るのを諦めたそうです。
助けを求めて来た彼女を私の
部屋に迎え、約半年間一緒に暮
らし、衣食住の"当たり前"を
体験してもらいました。同居生
活卒業後、一人暮らしを始めて
もらいました。今は優しいパート
ナーと巡り合い、2人で穏や
かに暮らし、先日は彼女と一緒
に買い物を楽しんできました。
うちに来た最初は米の焚き
方すら知らず、手でお米をすく
って炊飯器に入れていた彼女。
今では毎日、自分でご飯を用意
しているそうです。
「今日の予算は3000円。
スマホに材料と作り方をメモし
てきた」と彼女が笑いました。
「すごい!えらい!」とほめて
あげると、ぼろぼろと泣き出し
ました。「ほめてくれてありが
とう。ほめられることが今まで
なかったから、嬉しすぎる」と。
帰宅後、彼女からSNSにメ
ッセージが届いていました。
「命が大切なことくらいわか
ってる。でも、自分が大切かど
うかはわかっていない。命が大
切なことを伝えたいなら、目の
前にいる人を大切にしてあげる
ことが何より近道」「『がんばれ』」
と言われてもがんばれなかっ
た。そもそも、がzんばろうなん
て思えなかった。(励ましてく
れた相手にも)『黙れ』って思
っていたけど、自分を応援して
くれるって感じたり、自分の
こと認めてくれると感じるこ
とができたらがんばれという
言葉がなくても、ちょっとがん
ばってみようって自分から思え
る。『えらい』ってほめてくれ
てありがとう」。
誰かと一緒にご飯を食べる温
かさが、人の心を救うことを彼
女から学ばせてもらいました。
誰かのためにご飯をつくること
は、自分の時間と心と体、つま
り「命」を使う営みです。自分だ
けではなく、他人の命も生かし
ます。そんな温もりにあふれた
人の営みが続きますように。
天理教10月号、月刊高野山10月号、比叡山時報9月号
、本願寺新報9月20日、10月1日、10月10日
ミロクの世10月号
禅の友10月号
身延誌
黒住教
あいよかけよ金光教9月号無くなった→あった
愛をかけよ 552号より金光教
「拾ったお金」
私が幼い頃、私たち家族は教会を出て、ある地方で暮
らしていました。その頃は家族が何とか生活していけるく
らいの貧しい暮らしでした。
ある日、外出した時、母が私たち子供にこっそりと「お金
が落ちてるかもしれないから、下を見て歩こう」と言いま
した。それくらい本当に生活に困っていたのです。すると、
「あ、お母さん。何か落ちてる」と、本当にお金のような
ものを見つけました。何と500円玉でした。母はその
拾ったお金で「よし、これで何かお菓子を買ってあげよう」
と、私たち兄弟にお菓子を買ってくれました。晩ご飯もそ
のお金で食べることができました。
母はいつも「あの時は大変だった」と言いながらも、笑い
ながら、本当に明るくこの話をします。そして私はその母
の話を聞いていると、とても面白くて、本当に楽しかった思
い出のように聞こえるのです。どん底の生活だったかもし
れませんが、私たち子供は今でも決してその頃の生活が悲
惨だったと思っていません。苦労して大変な目をしたの
は両親ですが、その親と一緒になって、親に守られなか
ら、家族皆でそこを通り抜けてきました。
今その時の親の心情を思うと、ただただ感謝しかあり
ません。そして、それを思うと、自然と自分に元気が出
ます。
狭川 慶郎(金光教山科東野教会・京都)
愛をかけよ 553号より金光教
川柳(せんりゅう)
楽しいから笑う 辛いから笑う
「あいよかけよ」誌に川柳が載り始めて三年半。よくぞ川
柳欄を作られた、と感激し、私も投句を始めた。いま、小学
生の投句もあり、あいよかけよ川柳はとても好評とか。
私は川柳を始めて46年、よくぞ続けてきたと思う。単に脳
の老化や認知症予防だけでなく、日本の素晴らしい文芸を多
くの川友たちと楽しみ、笑い、苦しんでいる。
巣ごもりは無 神さまに用がある
私には、神様へ毎日お礼を申し、一日のことを願う、という
用件があり、神参りするのはコロナに罹るはずがない、とお参
りをしてきた。「教会が遠くなったら信心の抜け始め」と思っ
て。お広前に参拝者が少ないのは寂しい。
今日何しようか 生きることにする
私の好きな一句であり、色紙にもよく書いている。高齢にな
り物忘れが多く、朝、床の中で今日の予定を考え、お礼を申
して起床、一杯の水を頂いて一日が始まる、ありがたいなぁ、
今日も生かされていることがうれしい。
親先生(二代教会長)は、「御用は断らない主義」を貫か
れた。先生に見習って、御用はなるべく断らないようにしてき
たし、神様から「もう止めよ」の声がかからないのがうれしい。
そして一句。
今日もまた 賑やか敵に囲まれて
薮田 裕(金光教福岡高宮教会・福岡)
及川さんの情報
- 小沢&平野が東京8区は「山本太郎一本化」で9月に決定済み
- 立憲の「東京都連」も合意済み
- れいわは東京5区、東京7区に立候補してる候補者を取り下げ、立憲候補者に一本化するという話
- 東京8区の立憲候補の支援者に立憲がどう説明するかだけの段階
立憲の都連会長と党本部選対の合意を得てる時点で山本太郎の仕事は終わりで、「私は東京8区に出馬します」と言ったところでなんの問題もないでしょ。
それなのに枝野が、一度は「聞いている」と言ってたくせに、後になって「困惑している」とか言い出すから、面倒なことになってる。悪意しかない。
比叡山時報令和3年09月8日
200年前の偉業を学び未来へと踏み出す
我が国初となる日本全土の実測地図『第日本沿岸興地全
図』を伊能忠敬(1745~1818)が完成させたのが
200年前の1821年。7月に完成したその地図は作成
にあたる記録書14巻とともに幕府へ上呈された。その後日
本の地図制作は、その精度を益々向上させ、GPS測量に
必要となる重要な基本情報をもたらした。さらに現代も、
データが不十分な点は情報収集がなされ、実測した地図を
データ化して補填。我々の生活環境をより良いものにして
くれている。
その基本は忠敬の偉業が根本にあることに間違いがな
い。忠敬は家業である酒造・金融業を49歳で息子景敬に譲
り、隠居の身となってからは、すぐに天文学を学ぶため江
戸へ移住。息子ほど年の離れた師に弟子入りし、天体観測
と歩測法による距離測定の計算方法を会得した。寛政12年
(1800)に資財を投じて、蝦夷地および東北・北関東
の測量を開始。御年55歳。現在なら現役世代だが、現代よ
り寿命が短かった当時の状況からすれば驚愕する年齢であ
る。その翌年から幕府の幕府直轄事業となり、自直な性
格と強い使命感より17年10回の実測事業に至った。忠敬作
成の家訓(1791年)には
第一 仮にも偽りをせず、「孝悌忠信」にして正直たる
べし
(親や目上の人に誠意をもって伝えること、嘘を
なく、正直であること)
第二 身の上の人は勿論、身下の人にても教訓異見あら
ば急度相用堅く守るべし
(役立つ事や正しい意見は採用し遵守すること)
第三 徳敬謙譲とて言語進退を寛裕に諸事譲り敬み少も人
と争論など成すべからず。
(誰に対しても遜り、争論なく物事に対すること)
まさしく、"忘己利他"である。苦労人とも云える人生の
中、自らの力量によって家を守った彼の家訓はいまの時代
にも必要不可欠なものであるが、その中でも、第二家訓は、
地図精度の向上に励む次世代を担う内弟子たちへの教育に
繋がる注視すべき点である。
明治まで人目に触れることが許されなかった地図は、今
日の情報システムの基盤となって、さらなる進化の一因と
して役立っている。見ること見ることが出来なかった物・
箇所を把握し知識を深め、さらに進化して未開地を照らす。
200年前の偉業を学び、一人一人が実直な努力と新し
い社会観を身に着けて前へ進みたいものである。