禅の友2021年9月号、身延誌令和3年9月号、三橋TV、総裁選前に全国民が必ず知るべきたった1つのこと、東京ホンマもん教室、土曜の夜には
禅の友2021年9月号、身延誌令和3年9月号、三橋TV、総裁選前に全国民が必ず知るべきたった1つのこと、東京ホンマもん教室、土曜の夜には
禅の友2021年9月号
前回、道元さまより、僧侶が財を貯えずに托
鉢で暮らしていく生活のあり方がは、釈尊の計ら
いによってレールが作られ、祖師方の継承さ
れ、また、禅宗にあっては、そのように示され
続けてきたことが言われました。今回は、禅僧
のそうした生き方が、他宗にも評価されている
ことが示されます。
【巻四ー七(4)】
教家にも此宗を讃たるに先づ是をほめ、記録
の家にも此事を記して讃むる也。未聞富饒
財宝行仏法(未だ財宝に富饒にして仏法を
行ずるを聞かず)、皆よき仏法者と云は、或は、
布衲衣、常乞食也。
「教家」とは、禅家に対する言い方で、禅宗
以外の宗派を指します。道元さまは、禅宗以外
の宗派が禅宗を讃える場合には、先ずはこの財
を貯えずに托鉢で暮らしている点が挙げられ、
僧侶の伝記を書くような人も、やはりこの点を
記して讃えていると言っています。
「記録の家」というのは、恐らく著名な僧の
伝記集を残した人々を言うのでしょう。「記録」
の中には、例えば『高僧伝』のように、教家主
導で宗派を超えて記された伝記集もあります
し、『景徳伝灯録』のような、多くの禅僧の活
躍を記録したものも含まれると思います。
いずれにせよ、道元さまは、そういった賛辞
の中においても、豊かな財産を所有して仏法を
実践していたというような話は聞いたことがな
い、と言われます。「富饒」とは、その人ない
しその場所が、富んでいて豊かであることを言
います。
そして道元さまは更に、どの記録を見ても、
良い仏法者というのは、大概、継ぎはぎの袈裟
を着用し、常に托鉢によって生活している、そ
ういうものである、と言われています。
「衲」は縫う、繕うといった意味になります
ので、「布衲衣」とは、単に「衲衣」と言うに
とも多いのですが、布を縫い合わせて作った袈
裟ということになります。袈裟は新しい一枚布
を利用するのでなく、世間で不要となった布
をかき集め、縫い合わせて作成するのが釈尊以
来のあり方です。不要品の継ぎはぎですから、
世間から見れば、ぼろぼろの衣服、ということ
になります。
「常乞食」は、常に托鉢によって食を得るこ
とで、既に見たように、これもまた釈尊以来の
僧侶の生活スタイルとされています。
もちろん、時代と場所によって、実際には必
ずしも托鉢が中心ではない場所もありますが、
記録に残る名僧は、その殆どが質素な生活をし
ていた、ということになるかと思います。
【巻四ー七(5)】
禅門に、よき僧と云はれ、はじめおこるも、
或いは教院・律院等に、雑居せし時も、禅僧の異
をば、身をすて、貧人なるを以て、異せりとす。
宗門の家風、先、此事を存べし。聖教の文理を
待べからず。
道元さまは、次に禅門に良い僧侶がいると
言われ、禅宗が興起し始めた時にも、あるいは
禅宗が教家の寺院や律宗寺院等に同居していた
時にも、他宗に対する禅僧の特徴は、自分を捨
てて、財産もない状態であったことにあった、
と言われます。つまり、その点が禅僧の良い特
徴として捉えられていたと言うのです。
世間的にはまだ禅宗が確固たる宗派として認
識されていなかった頃には、坐禅を好む僧侶が
他宗の寺院に間借りをし、そこに有志の俗人も
加わりながら、言わば坐禅同好会のような形で
存在していたようであります。『禅苑清規』と
いう書には「昔は律院に同居していたが、そこ
から寺院を別にして禅宗を開いた」という言葉
もありますから、禅が人心を捉えだした当初に
は、まだ独立した存在ではなかったことが窺え
ます。
そういう状態ですと、禅僧は、旧来の僧侶と
は異なり、仏教国家であっても生活の支援は得
られなかったことが想像され、必然的に経済的
には苦しくなります。しかし禅僧は、そういっ
たデメリットを厭わずに仏法に身を投じるわけ
ですから、国より生活が保障されていた他宗よ
の僧侶から見れば、よりリアルに「身をすて」
という表現が響くものと思います。
次いで道元さまは「わが宗の家風として、先
ずはそういう時代の禅僧の生き方を銘記してお
かなくてはならない」と示されてます。既に仏祖
のそういう事例があるのですから、あらためて
仏典の言葉や理屈をあれこれ確認する必要など
ないのだ、と言われるのです。
【巻四ー七(6)】
我身にも、田園等を持たる時も有き。又、財
宝を領ぜし時も有き。彼時の身心と、此ごろ貧
して衣盂に乏しき時とを此するに、当時の心優た
りと覚ふ。是現証也。
ところで、道元さまも公家の出自ですからそ
れなりの財産があったようで、田園等を所有し
ていた時もあったし、また財宝を所有していた
時もあった、と告白されています。
その上で、「そういう財産を所有していた時
の身心と、大した財産もなく衣類や食器にも苦
労する現在とを比較してみれば、現在の心境の
ほうが、より優れていると自覚します」と言わ
れ、この実感が、財産は持たないほうが良いこ
との、確たる証拠である、と示されるのです。
道元さまが財産をどのような形で所有してい
たのか、あるいはいつそれらを破棄したのか、
具体的なことはわかりませんが、出家を境に放
棄したというよりは、出家後も今しばらくは、
それなりの財産があったと見るべきかと思いま
す。
出家とは言いながら、現実的には、最初から
そういった私有財産、あるいは一族のバックア
ップがある僧侶は、国を問わずに存在していま
した。また、最初はそれほどの財がなくとも、
修行の過程において強力な在家支援者が付いて
くれる場合もあります。
私の勝手な推測としては、少年であった道元
さまが、出家した際に、財産放棄をしたとする
よりは、中国への留学資金を調達するために財
産を処分した、もしくは京都を離れる際に処分
した、といった可能性を考えるほうが妥当かと
思います。いずれにしましても、道元さまとし
てみれば、捨て身になって財産を捨て、初めて
本当に世俗からの解放が実現したということな
のかも知れません。
身延誌令和3年9月号
今月の人
身延山本願人
株式会社井丸井紙店 代表取締役社長
有泉誠一さん
創業から今日に至る迄のことについてお聞かせ下さい
ますか。
【有泉氏】
弊社は大正六年に創立されました。創業以来一〇四年
となり、私で三代目となります。創業当初は紙問屋とし
て産声をあげ、手漉き和紙の販売でしたが、後に製造も
することになりました。
和紙生産の事業が軌道に乗った頃、ご縁を頂いて久遠
寺様に和紙を衲めさせて頂くようになりました。そこで
初めて紙礼の奉製のご依頼を頂きました。しかし、授与
品の奉製など初めてのことでしたから、当初は手探りの
状態であれこれと工夫しながら、お客様の要望を一つ一
つ無我夢中で形にしていったと聞いています。地元の製
紙業者が障子紙の生産に力を入れる中、弊社は和紙を使
用した紙札の奉製へと舵を切ったのです。昭和十年のこ
ととなります。
途中、父の徴兵とともに紙の注文数も製造量も随分と
減ってしまったことがありましたが、父が戦争から帰っ
てきた頃から本格的に久遠寺様の紙札の印刷加工を始め
ました。当初は木版で手動の印刷機によって一体一体印
刷してましたのできれいに印刷できるようになるまで何
度も時間をかけて調整し、久遠寺様からのさまざまなご
指導も頂きながら徐々に紙札が軌道に乗り、後に木札の
注文を頂くようになりました。
車も多くない時代に地元の市川大門駅までリヤカーや
自転車を使い、鉄道便で久遠寺様始め各寺院様にお送り
致しました。お陰様で日蓮宗寺院様のお得意様が増え、
ご注文数も増えてきたこともあり手漉きから機械漉き
抄紙機や自動印刷機を導入しました。
現在は全国の寺院様、神社様とお取引させて頂いてお
ります。これまで木札、紙札を主体としておりましたが、
人々の生活スタイルの変化によって求められる授与品の
形も少しずつ変化していると強く感じます。金襴御守袋
や破魔矢だけではなく御朱印帳やシール型御守、カード守
りなど、人々のニーズに沿った授与品の開発・製造を常
に意識し、人々の心の拠り所である寺院様、神社様のお
手伝いができたらと考えております。
このように、久遠寺様や日蓮宗各寺院様とのつながり
の中で弊社の歴史が引き継がれてきたということです。
このご縁に心より感謝申し上げております。
社是あるいは経営理念などをお聞かせください。
【有泉氏】
ひと言で申し上げれば信頼です。お客様に信頼される
企業でありたいです。授与品一体一体を熟練した職人が
丁寧に真心を込めて作り上げております。原料仕入れか
ら加工、奉製に至る迄自社による一括した生産体制であ
るため、小ロット・低価格を実現させて頂いております。
また、社員同士の信頼も大切にしております。ひとつ
の授与品を作り上げるまでに、各工程に多くの職人が関
わりますので、お互いの信頼・チームワークがあってこ
そ、素晴らしい授与品を奉製することが出来る訳です。
こうした社員同士、社内の信頼があってこそ、お客様が
らの信頼も頂けるものと思っております。
有泉様のお題目信仰についてお聞かせください。
【有泉氏】
大荒行堂が身延山で開設されていた時期に、弊社も出
入り業者の仲間に入れて頂きました。その頃から、毎年
荒行を成満した地元の修行僧を会社にお招きして、ご祈
祷会をお願いしておりました。私も小学校の頃から、ご
祈祷会に参拝させて頂きました。子供の頃から、手を合
わせると自然にお題目が口から出て参ります。
今では、お題目をお唱えすると、清々しい気持ちをより
一層増して感じるようになりました。有難いことです。
ここ最近は荒行堂が開設されている千葉県中山の方に
毎年参拝に行き、ご祈祷を受けております。
これからの身延山に対する思いなどをお聞かせ頂けます
でしょうか。
【有泉氏】
今年八月二十九日には中部横断道の山梨、静岡間が全
線開通しますので、より多くの方々が身延山に参拝して
頂くことを切に願っております。
また、私共も従業員一同で身延山参拝をさせて頂きた
いと思っています。
インタビューアー 布教部長 豊田慈證
成長を知らない子供たちへ また「キラキラした日本」に戻せるよ [三橋TV第441回] 三橋貴明・高家望愛
https://www.youtube.com/watch?v=DkGImeLrzo0&t=2s
高市早苗、河野太郎、岸田文雄...総裁選前に全国民が必ず知るべきたった1つのこと【9/14(火)までの限定公開】
https://www.youtube.com/watch?v=qqh2KxPLdkA&t=1529s
【東京ホンマもん教室】9月11日 放送 見逃し動画 加速する世界の"中国化"~中華未来主義ホンマもんの話~ ゲスト:東浩紀(対談テーマ:緊急事態宣言とコロナ禍の欺瞞)
https://www.youtube.com/watch?v=rQ8z4ajMq6k&t=329s
「土曜の夜には 第六曲 カルロス・ガルデル「ポル・ウナ・カベーサ」
https://www.youtube.com/watch?v=yKKpVYi7i2Y&t=29s