黒川氏、AERA dot.、てんかん、ビムパット、ミロクの世令和3年7月号、身延誌令和3年7月号(日蓮宗)、教え、祈りの掲示板、祝詞の解説 大本教
黒川氏、AERA dot.、てんかん、ビムパット、ミロクの世令和3年7月号、身延誌令和3年7月号(日蓮宗)、教え、祈りの掲示板、祝詞の解説 大本教
黒川氏って緊縮財政論者じゃあなかったんだね!(220)【経済の仕組み】
https://www.youtube.com/watch?v=DbusXrYEnn0
AERA dot.の記事に対する反論(令和3年6月25日収録)
https://www.youtube.com/watch?v=cA2hp8rCc9o
5月
12 てんかん発作 19:00
14 てんかん発作 5:00
18 てんかん発作手だけ 11:00 16:00
19 ふらつき 11:00 11:40 12:47
26 ふらつき 9:40
27 てんかん発作 18:40 手と足
28 てんかん発作 11:40 手と足
30 ふらつき 10:53 上半身 14:10 14:40
6月
2 ぴくぴく 20:32
3 立ちくらみ 11:23
4 立ちくらみ 08:19
14 てんかん発作 06:54 手と足
22 てんかん発作 18:10 手、上半身
22 立ちくらみ 18:26
27 立ちくらみ 11:48-18:30
ビムパット 副作用
うつ病、幻覚、攻撃性、激越、感覚鈍麻、錯感覚、認知障害、異常行動、錯乱状態、
注意力障害、平衡障害、不眠症、眼振、構語障害、嗜眠、
協調運動異常、ミオクローヌス性てんかん
平衡障害
平衡障害とは、中枢神経系(小脳、大脳白質など)、末梢前庭系、固有感覚系、
運動器系などの障害により、平衡感覚が障害された状態のことである。
めまい・ふらつきは、①狭義のめまい(回転性めまい)、②失神性めまい、③平衡障害、④
①~③以外のはっきりしないめまい感――に大別できる。
ミオクローヌス性てんかん
進行性の経過をとり、ミオクローヌス(急に体の一部、手指、手足、顔面、
まぶたなどが、ピクッとして、あたかも電気に打たれたように一瞬だけ動く)という
不随意運動 (体の一部が一瞬ピクッと勝手に動く)と
てんかん発作(全身のひきつけ発作、意識消失発作)を主な特徴とする慢性の脳の病気の総称です。
ミロクの世令和3年7月号
おほもとしんゆ
大正六年旧十一月二十三日
明治二十五年から知らして在ることが、皆その通り出て来るぞよ。寒さ暑さの容赦無いと申して在る
うがな、是だけ感じても、斯の大望な事がはじまりたら、水の中でも火の中でも、熱い寒いは言うて
居れん、大望な大戦いであるぞよ。
斯の世が出来てから未だ無い、末代に一度ほか為られん二度目の世の立替えであるのに、何も判らぬ悪
神の仕組は、我良しの強い者勝ちの行り方であるから、我の血筋と親族と眷属とさえ良かりたら、何
時まで掛かりて居りても、獲れた折に獲りたら良いと云う悪神の仕組は、ラクな行り方であるぞよ。
そんな仕組を致して居る方のいう如うに、相手になりて居りたら、此の世が泥海と成る事が見え透いて
居るから、昔の元から日本の国には、悪神の方からは見えも判りも致さず、学力や智慧でも、外の身
魂では出来ん経綸が為てあるから、何うしても悪の身魂に改心が出来んなれば、国とは代えられんから、
一輪の仕組通りに致して、爰までは堪りたなれど、爰に成りておりても判らんような悪の頭なら、仕組
みてある如うに致して、バタバタと処置を付けて、後の立直しの用意を致さんと、斯の世を茲までに自
由自在に致されて、天地の先祖の威光が解らんから、斯の世を創造て、末代の世を建てて行かねば成ら
ん天と地の先祖が、今までは堪忍て来たなれど、余りの事で、日本の霊主体徒の一と申して二の無い
国を、天竺や外国と同じ如うに致して、自由に為られるとは、時節とはいい乍ら、爰で改心を致せば又
仕様も在るなれど、余りの事で、モウ堪忍袋が切れるぞよ。
悪神に自由自在にして了われて、天の御三体様に何う申し訳が出来るか。艮の金神を無い神と致して
から、恐いものが無いように成りたから、日本の神国を好きな如うに、我の一力で仕放題、好き寸法の
悪力がありたら、上へ上がりて出世が出来て、ラクな行き方、我の一力で悪い事を為る守護神でありた
ら出世が出来たが、頭が極悪でありたから、悪の登るのは早かたりたので在るぞよ。
九分九厘までは、跡が何うなろうと先が何う成ろうと行ける処まで、胴体が無いから、八ツ頭八ツ尾で、
肝腎の大事の真中が無いと、頭と尾とでは肝心の事が成就いたさんぞよ。
日本は世界の中心で在るから、肝腎の要めの所に、大事の経綸が為てあるから、モウ微躯とも致さぬども、
人民の方は何事も改心次第であるぞよ。
(『おおもとしんゆ』第三巻から)
身延誌令和3年7月号(日蓮宗)
今月の人
硯師 雨端硯本舗第十三代当主
日本工芸会正会員
雨宮弥太郎さん
雨畑硯は身延山と深い縁があるとお聞きしましたが。
【雨宮氏】
雨畑硯の始まりには二つの言い伝えがあります。ひと
つには、元禄三年に初代の雨宮孫右衛門が、身延山参詣
の途中、富士川支流、早川川原に黒一色の石を見つけて、
これを硯に制作したことを始まりとします。また、石が
採れる早川町の雨畑地区には、もっと古い約七五〇年前
に日蓮大聖人のお弟子の日朗上人が、七面山往来の際、
この石を見つけられたという言い伝えが残っています。
いずれにしても、身延山というものがあったからこそ、
大聖人がいらっしゃったからこそ石が見つけられて、硯
作りが始まったということになる訳です。
硯についてお聞かせください。
【雨宮氏】
硯というのは墨を磨るための道具なのですが、それだ
けに止まらないで、墨を磨りながら精神統一をして、自
分の内面を見つめ直すための道具だと思います。硯に向
かうということは、禅の庭に向かうのと同じような役割
があると思います。
由縁ある中国硯の造形の多くを見てみても見事な彫刻
に圧倒される一方で、実用性とのバランスを考えると、
必ずしも使い易さを追求していないように感じるものが
あります。
それらの硯は、文人墨客の書斎の中心になるものとし
て、実用以上の象徴的な役割を担っていると考えられま
す。そんな品格のある硯を身近に置くことで、理想の生
き方を体現した文士の境地を体感するのです。硯はまさ
に理想の境地に思いをはせ、自分の内面と向き合う為に
の舞台装置とでも呼ぶべきものです。私は硯を「精神の
器」と位置づけて広めていきたいと考えています。
硯には、それを眺めることによって安らいで、自分自
身の想像力を膨らませるというような彫刻作品としての
捉え方もあると思います。
硯の石は御影石のように磨くことで光沢がでて存在感
が高まるような素材とは異なり、柔和な石質で心を温か
く包み込み受け入れてくれるような質感があり、まさに
瞑想の時間を作りだすのに最適な質感を備えています。
使い易い硯の探求の一方で、現代造形でありながら精神
的な存在『祈りのかたち』としての造形を深く追求して
いきたいと考えています。「精神の器」に向き合うことで
心を安らげ、自身の創造力を膨らませるかたち、そこに
現代彫刻としての可能性も感じています。
身延大学にも講義に来て頂いていますが、硯の制作
を通して雨宮さんが伝えたいことはありますか。
【雨宮氏】
物を作るということは『祈り』そのものだと考えます。
ものづくりに集中する時間は無心になり、小さな自分の
存在を超えた『宇宙の摂理』のようなものが降りてきて
作品の中に宿るように感じられます。そんな時間を経た
作品には祈りが内包され、作品にふれた人にも伝わるの
だと信じています。
それが本当に心を込めて作られたものの価値だと思い
ます。実は、僕が身延山大学の授業で伝えたいことは、
思いを込めて作られたものを感じる心なのです。
『祈り』の気持ちを純粋に追求することで自ずから『美』
が顕れてくるのだと思います。その根本に、今自分が存
ることの感謝の気持ちから謙虚に世界に向き合うものにとら
われてしまい、「美しさ」を形作る根本を見失いがちで
す。「美しさ」を見極める目を育てるきっかけになるテク
ニックの一端を伝えられ
ればと考えています。
私自身がものづくりの
中で培って来た「思いの
籠ったかたち」、その制
作過程で作られたものに
「美」が顕れ「祈り」が内
包される、仏教を学ぶ学
生さん達にそんな思いを
伝えることが出来たらと
考えて授業を組み立てて
います。
インタビューアー 布教部長 豊田慈證
こういうような人が一つようあるはずである昔かたぎ
なんと友達であったが今会うたら一つも関心を持てんとような
あまりにもかけはなれておるてやまた一番それがわかりやすく
見やすいのが同じ学校出た一方は真面目に一生懸命に稼業に努力
しとる一方は結局不良の世界入ってしもたもう落第になってしもた
昔はどんな仲良うてもそんななって来たら絶対会わんもう魂の世界が
変わっとるから会わんそうすると真面目にやっとる人はやっぱり
慈愛の心があって
あれあんなに人間が変わってしもたら昔は良い人間じゃったが
なんとか元に戻してやろう思て一生懸命なるいくら一生懸命
なって近ずいてもむこうから逃げてしまう御霊が会わんから
ようそんなんなるそれであるから誰とでも会うようにするには
やはり同じように修養しあわないかん信仰しておっても同じ信仰
しておるに合う人と合わん人と出来てくる初めようおうとるのに
しまいに合わんようになってくるのはこれは歩む所の心構えこれが
変わってくる
一方は世のため人の為尽くそうと思て自分のこと
帰りみずに一生懸命やっとると一方は自分のことしか考えん
となってくるともう二年ぐらいすると大きい相違が出来てくる
もう5年10年なったらもうあんまりかけはなれてしまうもうすっかり
違うそれであるからかけはなれんようにしていくとすると同じ
仕事しながら同じようにおっても変わってくるこれもまた研究せんなならん
そすとやはりそこには魂の向上というものがどれだけ大切かということが
ようわかってくる
祈りの掲示板
https://6909.teacup.com/inorigoi/bbs
祝詞の解説 大本教
https://oni-norito.jimdo.com/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9D%E8%A9%9E/
天津祝詞
高天原(たかあまはら)に元津御祖皇大神(もとつみおやすめおほかみ)『数多(あまた)の天使(かみがみ)を集(つど)へて永遠(とことは)に神(かみ)留(つま)ります。 神漏岐(かむろぎ)神漏美(かむろみ)の御言(みこと)以(も)ちて 神伊邪那岐尊(かむいざなぎのみこと)九天(つくし)の日向(ひむか)の立花(たちばな)の小戸(をど)の阿波岐ケ原(あはぎがはら)に。御禊(みそぎ)祓ひ玉ふ時になり坐(ま)せる。 祓戸(はらひど)の大神(おほかみ)たち 諸々(もろもろ)の曲事(まがこと)罪(つみ)穢(けがれ)を。 祓ひ玉へ清め賜(たま)へと申(まを)す事の由(よし)を 天津神(あまつかみ)、国津神(くにつかみ)、八百万(やほよろづ)の神たちともに 天(あめ)の斑駒(ふちこま)の耳(みみ)振立(ふりたて)て聞食(きこしめ)せと 恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(まを)す。
太意
大宇宙には主の大神が、あまたの天使を統べて永遠にすみきり、お守りになっております。主の大神の霊的方面(神ろぎ)
ト体的方面(神ろみ)のご活動力によって神伊邪岐尊とあらわれ、宇宙創造のたえずみそぎはらい(浄化)の活動を
されていますが、主の大神のみ心のままに、宇宙大潔斎る神業を分掌される祓戸の大神たちよ、どうぞすべての曲事
(神意に反すること)、罪けがれを、祓い清めていただきますように、そして天地の天使もごいっしょにご活躍くださいませ、と、
神々にたいして祓い清めの神徳を発揮されることを、お願い申し上げるのが、この祝詞の精神である。
大霊能師 出口王仁三郎★奇跡の肉声★
https://www.youtube.com/watch?v=NkXgvjIfekk
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大本教は裏神道です
魔を祓う力は強いです。
前にも言いましたが、
大本教は今世紀中に
世界平和が実現するとか
言ってます。
浄化力は
強いです。
大霊能師 出口王仁三郎★奇跡の肉声★
https://www.youtube.com/watch?v=NkXgvjIfekk
これを使ってください。